2006年12月26日

二条城攻め(なんかちがう)

先日前々から行ってみたいと思っておりました京都の二条城行ってきました。

慶長8年(1603)徳川家康が、京都御所の守護と将軍上洛の際の宿所として造営し、その後、寛永3年(1626)三代将軍家光が後水尾天皇を迎えるために大改修が行われ大体いまの体裁を整えました。

らしいですはい。もちろんその後何度も修復入ってますけどね。

二の丸御殿は国宝で大政奉還の行われた場所です。


まずは見取り図から
P1000215.JPG
画像左下の東大手門から入ることができます。

入ってすぐの現在地ってところにあった見取り図です。
ルートは大方の順路にしたがって(赤い点線ついてるのですがまぁちょっと見にくいかな?)

入ってすぐの唐門からの写真
P1000212.JPG

この奥が二の丸御殿玄関です。
P1000200.JPG

えっと建物内は撮影禁止のためもちろん一枚もありません。
大広間の上座はもちろん建物ない奥にあり、勅命を受ける部屋は
入り口側に上座があるのが印象的でした。
また床がなるのは実はわざとで侵入者を防ぐ鶯張りというものらしいです。

襖絵がかの有名な狩野家が書いた物でこの時代の代表的な絵ですね。

庭園を歩きつつ・・・
さすが木と水と石があればできると言われる日本庭園。
自然のミニチュアですねっ
P1000202.JPG
P1000203.JPG

そして見取り図中央東橋。ここから本丸の方への入り口です。
P1000204.JPG

一応門入ってすぐの石垣
P1000205.JPG
えっとですね。城の石垣は入っていって比較的目に付きやすいところが
大きな石を使われてるそうです。ここでも権威の主張が行われてるらしいです。大阪城のあの石垣はばかでかいでしょ?

天守閣跡から見た内濠
P1000207.JPG

本丸御殿
P1000208.JPG

本丸御殿入り口
P1000209.JPG

ぐるっと回って見取り図右手の清流園
P1000211.JPG

そして表(4時過ぎると閉門です。)
P1000216.JPG

この帰りにみたもの・・・
「エホバの証人の王国会館」
写真は控えます。
なんでしょこれ?

まったりと観光&散歩でした〜♪
posted by 野分 at 06:30| 兵庫 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こらこらw お城の石垣は目に付く所が大きいのを使われてるのは、基本的に攻防戦時に激戦地になる所ですのよん。防御指数がかなり違いますのん。
力の象徴でもあるのも…大きいのを配置できるのもあるんだけどね^^;
防御の要である石垣が細かい石で配置されると簡単に取り付かれて困るし(笑
ま、武家の血を引くたわ言なのら(爆
Posted by 武家の人(ぇ? at 2006年12月27日 00:30
いやいや、それはあるんだろうけど、
後期のというか江戸時代入ってからの城ってもぅ防御拠点というより
政治的拠点かつ権威の象徴っしょ。
という認識なんだけどちがうのかなぁ?

・・・
というか誰!?はじめまして??
(ティ??
Posted by 野分 at 2006年12月27日 06:36
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。